人生苦の解決です。
苦を超えて得られる境地、それは涅槃寂静と表現され、貪る心や怒りの心そして愚痴の心からも解放されて静かなる心の平安です。
しかし、私たち凡夫は、思い通りにしたいとの欲望が、自分の意に沿わないと腹を立て、あげくには愚かな行動に走ってしまいます。
どんなに厳しい修行をしても、禅を組み心に平安をもとめても常に煩悩の波が心に押し寄せる煩悩具足の我らには「さとり」と言える境地は縁のない、言わば“絵に描いた餅”でしかありません。
そんな煩悩具足の凡夫こそ、救いの目当ての働きが阿弥陀如来の御本願でした。
阿弥陀さまの前には、いかなる罪悪も障りになりません。
理屈抜きで手放しで救われてゆく道、それが“ただ念仏申すのみ”浄土真宗です。
でも、こざかしい人間はそれが理解できないのです。
だから、“聴聞”聴くことが大切です。
しかし、“聴聞”すると、聴いたことさえ用がなくなって“ただ念仏”と気付かされてゆくのでした。。