殺生

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今回の後藤さん人質事件でどイスラム過激派の残虐性を見せつけられました。
 
人間の持つ恐ろしさ「ひとたび業縁のもようさばいかなるふるまいもすべし」という親鸞聖人のお言葉が胸に響きます。
 
どうして? 首をかしげるほど世界中から過激派に身を投じてゆく若者が後を絶たないとか?
 
日本では「人を殺してみたかった」と老人を殺した女子大学生が・・・。
 
イノシシを殺して食べたいと猟銃をもって山へ上がる女性も紹介されていました。
 
“いのちを奪う”ということに全く罪の意識を持てない、いや持たない人間が増えているということでしょうか。
 

気になる言葉づかい

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最近、受付などの応対の言葉づかいで気になることがあります。
たとえば、「お待ちいただいてよろしいですか?」
 
昨日も病院に電話して、要件を話すと係りの人に回すので「お待ち頂いていいですか?」と。
 
係りの人に出てもらわないと訊ねたいことが聞けませんから、返事は当然「はい」。
 
でもこれ「お待ち頂いていいですか?」ではなく「ちょっとお待ちください」と言って係りに回すべきことではないでしょうか?
 
これに似た言葉づかいが最近目立ちます。
 
 

願うばかり

心配です、後藤さん。

私たちの知らないところで、どんな過酷な生活に追われている人たちがいるかフリージャーナリストとして世界に報道していた後藤さん。

危険を承知で、それでも人間を信じて「話せばわかる」と・・・。
テロリストを甘く見ていたと言わざるをえませんが、何とか命だけは・・・と願うばかりです。

一体何が?

いよいよ24時間という期限をつけられたと!?

しかも1対1の交換が条件?

ヨルダン政府が絶対のめない条件を24時間という期限を切って・・・。

いったい何が目的なのでしょう。

自己責任

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イスラム国で人質として拘束されている事件で自己責任論が惹起しているとのこと。
 
仏教で自業自得と説くのは、基本的に己が人生の責任は自分にあるというものであり、他者を責め、他者の責任を問うというものではありません。
 
どこまでも己が人生の苦悩の解決においてのことです。
 
拘束されたのは、自己責任だと、突き放すことでもありません。
 
共業共果(ぐうごうぐうか)という教えもあります。
 
イスラム国に入って拘束され、殺害されること自体は個人の責任としてそれぞれが負わねばなりません。
 
しかし、だからと言って救出に努力しないでいいというものではありません。
 
共に人間として日本人として、自分の業として受け止め、助け合おうとする心は、至極当然のことです。
 

あらゆる命が輝くことのできる道

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NMNや3Dプリンターでの臓器製造によって平均寿命が30年後には145才?というとてつもない夢のような話が現実化しようとしている反面、貧富の差はますます極端になり、イスラム国をはじめ世界中で争いが激しくなっています。
 
「弥陀仏は自然のようをしらせんりょうなり」
 
生者必滅 会者定離
 
この現実を受容するところからしか苦悩を超える道はないとのお釈迦さまの教えこそ、どんなに時代が変わっても変わることのない真実でした。
 
あらゆる命が本当に輝いてゆく道がそこにありました。

ストラップ

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初めて携帯にストラップ。


 
可愛いでしょ!
 
なっちゃんです。
 

教育の大切さ

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安芸仏教音楽連盟で来月ハワイに交流に行くことになり、昨日、その説明会と練習が広島別院でありました。
 
小学校の音楽の先生から、「この子は変曲!がうまい」と音楽の評価に書かれて以来、人前では歌は歌わないことにしている私ですが、坊守が連盟の会長をしている手前、“枯れ木もにぎわい”と、無理やり参加させられることに。
 
向こうでゴルフができるということで特別参加の他の住職さんとともに。
 
そもそも歌の練習で皆さんが歌い方について話されることが理解できません。
 
譜面を見ても、♪が上がったり下がったりしているのは見てわかりますが、拍の取り方や音の高さもただただ周りの人の声を頼りに・・・。
 
ところが高音と低音に分かれているところは、大変です。
 
周りの声につられて、どっちの音階で歌ってよいやら・・・。
 
保育園や幼稚園にもいかず、働き同士の母親からは子守唄も歌ってもらえなかった戦後の混乱期に育った悲しさを今更痛感しています。
 
教育は大切ですね。
 
 

たすけとぐること、きわめてありがたし

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後藤健二さん達がイスラム国に拘束された重苦しい事件の中、錦織選手の2回戦突破のニュース。
 
やりきれないことが次々と惹起しながらも嬉しいニュースに触れると重苦しさを忘れてひと時、胸躍る気持ちになれます。
 
やっぱり第三者、他人なんですね。
 
震災などは、わずかであってもボランティアや募金などを通して関わることができますが、イスラム国などの事件には関わりようがありません。
 
自分の存在がいかに小さなものであるかを思い知らされます。
 
「聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」歎異抄のお言葉が身に沁みます
 

我は善なり

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彼の是(ぜ)は則(すなわ)ち我の非(ひ)にして、我の是は則ち彼の非なり。我、必ずしも聖(せい)に非ず、彼、必ずしも愚(ぐ)に非ず。共に是れ凡夫(ぼんぶ)のみ
 
聖徳太子のお言葉です。
 
「我は善なり」この心こそが、他者を傷つける根拠となるものであることをイスラム国の拉致事件は物語っています。
 
「善」という立場に立てばどんなことでもやってしまう人間の恐ろしさと愚かさを知らされます。
 
かつての日本は「神国日本」そして「鬼畜米英」をかかげて戦った結果、今だに韓国や中国など近隣諸国とわだかまりが解けません。
 
「我は善なり」この立場に固執するのが凡夫の自性・我執です。
 
固い固い我執の殻を破って、大きな世界に引き出そうとしてくださる阿弥陀さまの働きがナンマンダブと私たちの口に表われ出て来て下さっています。
 

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