御親族が亡くなられ、院号を贈りたいと申し込まれた方が数時間後には「院号を贈るのは中止します」・・・。
葬儀社と葬儀の打ち合わせをすると、葬儀社への支払いがびっくりするほど多くかかることで暁天。
これでは院号は申請できないと。
葬儀会館でのお葬儀費用が高すぎて、永代にわたって故人の御遺徳を讃嘆する院号申請の御懇志が出せなくなったと。
そりゃそうですね。
葬儀社に数百万円も支払えば、故人の御遺徳を讃えるための院号申請は出来なくなります。
広島県府中町の寺院「龍仙寺」の前住職です。
徒然日記をブログにしてみました。
御親族が亡くなられ、院号を贈りたいと申し込まれた方が数時間後には「院号を贈るのは中止します」・・・。
葬儀社と葬儀の打ち合わせをすると、葬儀社への支払いがびっくりするほど多くかかることで暁天。
これでは院号は申請できないと。
葬儀会館でのお葬儀費用が高すぎて、永代にわたって故人の御遺徳を讃嘆する院号申請の御懇志が出せなくなったと。
そりゃそうですね。
葬儀社に数百万円も支払えば、故人の御遺徳を讃えるための院号申請は出来なくなります。
老人世帯が多いのに驚いた今年の報恩講でした。
御老人だけの家庭でもご夫婦が揃っていらっしゃる家庭は、まだ楽しくお話が出来ますが、体調がよくない老人が一人で頑張っていらっしゃる姿には心が痛みました。
無縁社会という言葉が、私の周りに珍しくない現実としてあることを実感した報恩講参りでした。
そんな中で、御遺骨が無縁になるという現実から納骨堂の御相談を受けたことが2件もありました。
2年前、納骨堂を建設しましたが、早くも十数体の御遺骨を預かっている現実が今の日本の悩みを物語っています。
世界中、人間の居る所、けじめのときは必ず儀式をする。
中でも“お葬式”をしない人類はいないと、精神科医の名越康文先生。
“坊さんフェス2010”での対談での言葉です。
けじめの中のけじめ。お葬式は重大なけじめの時です、単なる人の死、別れの儀式ではありません。
自らの死を自覚し、問い直す、目覚めを促される故人の命がけの説法です。
告別式?いいえ別れを告げる式でもなければ、間違っても遺体処理ではありません。
今、お寺の境内がシュンです。
共命の松の先に紅葉が輝いています。
お墓参りの人が感嘆の声、「いやあ、きれいですね〜」
自然の美は生きています。
一瞬、輝いて散ってゆくんですね。
“ラーハ”とは訳すべき適切な言葉がないそうで、仕事をする時と遊ぶ時という二つの分け方の他、それ以外に“何もしない時”、いわば無駄に過ごす時間とでもいうべき言葉だとか?
役に立つか経たないかという二元対立的な発想しか持たない私たちには面白いものでした。
いわば車のハンドルの遊びのようなものでしょうか?
右か左か、仕事か遊びか、役に立つか立たないかではない。そんな時間が人生には必要だというこ
とのようです。
仏さまの前に座って合掌し、ナンマンダブナンマンダブと称えている時間もまさに“ラーハ”かもしれません。
大切な時間です。
知人や街ゆく人に声をかけ、合掌写真を収集。
街ゆく人には6割に拒否されながら集めに集めて3万枚。
出来ました。阿弥陀さまの立像。
遠くから見ると美しい阿弥陀さまの立像。
近くに寄ってみると人々の合掌写真です。
広島グリーンアリーナで行われた「坊さんフェス2010」。
私が入館したのは、ちょうど特別対談「釋徹宗と名越康文の役に立たない大切な話」の始まる前でした。
僧侶と精神科医の対談。
フェスタという様々な催しものが行われている性格上、子どもたちが後方でざわめいている中で行われた対談は、軽いタッチで話し合いが進みながら、なかなか味のある対談でした。
なかでもイスラムの“ラーハ”という話を特に面白く聞きました。
これはまた、明日のブログで
いよいよ誰にも抜けない記録づくりに挑戦?
馬場ゆかり選手。
現在すでに日本女子プロゴルフ史上、未勝利での年間獲得賞金の記録を更新して9,000万円弱。
残りあと1試合、しかし多額の賞金ですから9,000万円を超えることは確実。
賞金ランキングは現在4位。
10位以内の選手で未勝利は馬場選手のみです。
もし、2位になれば優勝なくして獲得賞金が一億円を超えるという歴史に残る偉業です。
本人は優勝を狙っているんでしょうが、優勝は逃してそんな記録を作るのもこれまた一興では?
ヘンな応援の仕方ですが・・・。