他力廻向の信心

次に、やはり七高僧の天親菩薩・曇鸞大師から一字づつとって名のられたのが「親鸞」です。

お正信偈に「広由本願力回向 為度群生彰一心」とあるように天親菩薩と曇鸞大師のみ教えによって「他力廻向の信心」こそが要であることをいただかれたのです。

お手紙などで一生用いられたお名前が「親鸞」です。


愚禿は、念佛禁止になり、越後へ流罪になって後に、「親鸞」とともに名のられたお名前です。

只今、宗会中です

。本願寺のお庭、百華園がきれいです。

見事な紅葉。



燃えるような朱の輝きが周りの緑とのコントラストで絶妙です。

携帯のカメラでは撮り切れていません。

残念。汗汗汗

親鸞聖人って度胸の据わった人だった?


範宴は出家得度して名乗られた名前。

綽空は法然上人から頂いた名前。

七高僧のお一人道綽禅師の綽と師・法然上人のお名前である源空から一字を取って、法然上人からいただいた名前です。

次の善信は親鸞聖人ご自身が名乗られた名前です。

師・法然上人がひたすら傾倒された善導大師の善と日本浄土教の祖といわれる源信和尚の信です。

師の法然上人から頂いた名前を変えること自体が恐れ多いことなのに、法然様が師と仰ぐ方のお名前から一字づつ頂いて、自ら名のるということは師の法然上人を超えたいという意志表示にもとれます。


それを法然上人に許しを請われるなどよほど度胸の据わったお方だったんでしょうか。

それを許された法然上人もまた大きな人だったんですね。

親鸞聖人のお名前


報恩講のお参りで時々、お尋ねされることがあります。

僧侶からすると常識的なことが多いですが、時にはわからない事もあります。

わからないことの一つ。

去年9月から今年の八月まで中国新聞に連載された五木寛之さんの「親鸞」で親鸞聖人の幼名が「忠範」となっていたことです。

今まで親鸞聖人の幼名は「松若丸」と聞いていたけど「忠範」というのは初めて聞きましたが、本当はどうなんですか?

「うーん。わかりません」

多分、「松若丸」というのも実名ではなく、後世の人がつけたもの?

「忠範」というのも何か根拠があるのかわかりませんが、五木さんが小説「親鸞」のなかでつけられた名前でしょう。


出家して後の名前、範宴・綽空・善信・親鸞・愚禿はまちがいないのですが幼名はわかりません。

お念仏が出なくなっても


「まあ、どうしたんでしょう。あれほどお寺にお参りしたり、お念仏していたのに。病気になったら全くお念仏も出なくなり、お仏壇にもお参りしなくなりました」

御主人が病に倒れ、認知症のような症状が出たことを嘆く奥さん。


「良かったですね。平生業成(へいぜいごうじょう)の教えで」と私。


病に倒れ、お念仏が出なくなろうとも、仏参しなくなろうとも、平生元気な時に信心喜ぶ身になった人は如来さまの御手に抱かれてあることに変わりはありません。


私がどう変わろうとも、変わることなく抱きとっていて下さる如来さまが私の如来さま。南無阿弥陀仏でした。

報恩講にお参りすると色んな出会いがあります。
喜びの因がいくらでも転がりこんできます。

これぞ御法事


「住職さんは昔、島へお話に来てくれたよね」
ご法事のお勤めの後、参列のお婆さんが話しかけてくれました。

30年ぐらい前、似の島のお説教所で法事説教に招かれたことがありました。

覚えていて下さったんです。ぴかぴかぴかぴかぴかぴか


似の島と言えば、ご法義の篤いところで親や先祖の法事に布教使を招いて法座を開かれます。


忘れられないのは、夜の法座が終わった後、家庭に帰って深夜2時頃までかかってお斎(精進料理)の用意をして、朝のご法座(6時から始まる)にはちゃんと皆さんお参りになり、説教所での朝の法座がすむと施主のお家に行って法事の勤行をし、ご法話の後、そのお斎を皆でいただきました。


すごいところだなあ、と鮮明に覚えています。

“これがご法事だ”という見本のようなご法事に会せていただいて驚きと感激で、今もって忘れることができません。

あったかいひと時


あれ!玄関前の駐車スペースにたどりつくなり

“おかしいぞ”

報恩講のお参りに行きましたが、いつも玄関前の駐車スペースのチェーンを外して待っていて下さるのにチェーンがかかったまま。

玄関開けて「こんにちは〜」

出てきた奥さん「えっ?」

「報恩講のお参りに来ました。お知らせ届いていたでしょ!」

「いや、ぼつぼつ報恩講だとは思っていたんですが・・・。でもどうぞお願いします」


お正信偈お勤めした後、奥さんが「ちょっと待っててください」と、お茶の用意。


その間、一人で考えていて「もしかして?」。ひょっとすると私のミス。

同姓同名のお家が二軒ありました。しかも同じ日にご案内していました。町外のご門徒には一軒一軒ハガキでご案内します。


お茶を持ってきてくださった奥さんに「私のミスでしょう。同姓同名のお家があってしかも今日でした。それで、出したつもりになっていたんでしょう。ごめんなさい」

すると奥さん、「いや、私がお知らせを見落としていたんでしょう。ごめんなさい」

「いえいえやっぱり私のミスですよ」

「ごめんなさい」の往復が・・・。


あったかいひと時でした。わーいわーいわーいわーいわーいわーい

フェリー支援


高速道路の割引でフェリーが打撃。
これを助けようと19の地方自治体が計14億円を計上するとのことです。


そりゃーそうですね。

今までフェリーは地域に貢献してきたわけですから、国の政策で打撃を受けるとすれば当然、支援策が必要ですね。

地域の交通に貢献してきたものが突然、国の政策で大きな打撃を受けるとすれば、自治体ではなく国として支援すべきでしょう。


国の責任。すなわち国民の責任です。

お前のせいだ

新型インフルエンザがいよいよ猛威を振るいそうな気配です。

広島県もいよいよ警報発令?

ワクチンも優先順位にそって接種。


小学校ではインフルエンザが流行しそうなところから、中には授業で取り組んでいる学校も。

インフルエンザでいじめが心配されているようです。


そういえば、子供って結構残虐なんですね。

楽しみにしていた運動会がインフルエンザで延期になったとするとインフルエンザにかかった生徒に「お前のせいだ」と攻撃が始まることも・・・。



子供って無邪気でかわいい一面と丸反対の残虐性も結構あるんです。


そういえば、子供のころの遊びって残虐でした。
山茶花の葉に群がる毛虫の幼虫を葉っぱごと水の入った空カンに入れて下から火であぶる。「石川五右衛門の火責めだ!」と喜んでいましたもんね。汗汗汗

足利事件、冤罪の原因究明を!


足利事件では、人間の悲しさ、愚かさ、ずるさ、恐ろしさそして善意を知らされます。

やってもいないのに自暴自棄になって嘘の自白をしてしまう悲しさ。

こいつが犯人だと決めつけて自分の功を急ぐ愚かさとずるさ。

事件と何ら関係もないのに“冤罪ではないか?”と菅家さんの支援に立ちあがる善意。

冤罪と分かったら、早く幕を閉じさせたいという検察のずるさ。


冤罪を作り上げ、17年もの長い間、何の関係もない人を犯人扱いし、その家族を含めて多くの人生を台無しにした検察がこの冤罪事件を早期決着し、闇に葬ろうとしていることは許せるものではありません。


間違いは誰にもあります。しかし、間違ったらそれだけの原因究明をして、且つ責任を取らねばならないのもこの世の大切な務めです。

それを失ったら、権威ではなく単なる権力の横暴でしかありません。

法の権威のためにも足利事件の冤罪の原因を明らかにしなければなりません。

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