夢はフラダンサー

来年、親鸞聖人750回大遠忌法要の龍仙寺門信徒大会でフラダンスをアトラクションの一つとして行います。ぴかぴかぴかぴかぴかぴか


その練習風景を見た、いじわる和香子がフラに挑戦。わーいわーいわーい

 

どうですかこの表情。
将来の夢は?

ハワイアンのバックフラダンサー?汗汗汗

月の夜は〜 
浜に出て〜
みんなで踊ろう
ヤシの葉かげ〜

骨のある人

JUGEMテーマ:日記・一般


青木新門と聞いてもピンとこない人がほとんどでしょう。
映画「おくりびと」の原作となった「納棺夫日記」の著者です。

青木さん


しかし、原作者でありながら、著作権を放棄してまで
原作者という立場を拒否された人です。

なぜ?

本願寺新報の「お盆特集号一面」に青木新門さんが語っています。
納棺の現場を数多く体験する中から出会った親鸞聖人のみ教えに導かれて
「後生の一大事」を問いかけたのが「納棺夫日記」。
そこが抜けて、ただ“いやし”だけで終わっている
映画「おくりびと」は私としては納得できなかったと。

“いやし”は結局、一時しのぎ。人生苦の真の解決にはなりません。
「著作権」を放棄してまでこだわった青木新門さん。
最近、こんな骨のある人めずらしいですね。

人間生きているうちが花。この世は金次第。この際、有名人に!
と飛び乗るのが普通の人でしょうが・・・。


地獄の鬼から仏さま

いじわる和香子も俊クンにはめっぽう優しいんです。わーいわーいわーい

可愛くて可愛くてしかたないんです。ラブラブラブ

でも、バ〜バやジ〜ジにはわがままです。[:がく〜:]

今日もギャーギャーわめき散らしていました。

ところが俊クンを見ると途端に「シュンくん、シュンくん」と猫なで声。ラブラブラブラブラブ

 

同じ人間だとは思えません。二重人格そのものなんです。汗汗汗


一瞬にして地獄の鬼から仏さまに早変わり。わーい

シャンシャン

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シャンシャン。

そうクマゼミです。

キミョウムリョウジュニョーライ・・・。シャンシャン、シャンシャン。

朝早くから、お正信偈に合わせてセミ達もおあさじです。

梅雨の谷間、久しぶりの快晴に、
待っていたかのようにシャンシャン(クマゼミ)の大きな鳴き声です。

私が子供の頃には府中町では珍しいセミでした。

夏休みの宿題に昆虫採集がありましたが
シャンシャンはなかなか捕れませんでした。

夏休みに母の里・安芸津町三津に行くとシャンシャンがたくさんおり、
捕獲して喜んだものです。

アブラゼミなどより一段と大きく、黒い胴体に透明の羽根が何とも魅力で、
シャンシャン、シャンシャンと鳴く声が勇ましく聞こえたものです。

温暖化の影響でしょうか、
最近はこのあたりでもアブラゼミよりクマゼミの鳴き声の方が多く聞こえてきます。


出来ないもの同士、気が合いました。


「男は黙って・・・」とかいうビール?だったかコマーシャルがあったと、うつろな記憶がありますが汗汗汗
アルコールが入って語り合うってイイもんです。わーいわーいわーい


わが息子と同じ年齢の若者から私より年上の男性で2〜30名、ほとんどが最近お寺の会合で顔を合わせた人達が懇親の会合を持ちました。


最初は、互いに気遣いながら話していたものが、アルコールが進むと不思議に打ち解けて盛り上がりました。


来春開催の龍仙寺門信徒大会で行うアトラクションの一つ、“銭太鼓”に取り組んでいるメンバーです。


“銭太鼓”って知る人ぞ知る。
知らない人は知らないって感じでしょうか。


集まったメンバーの多くは太鼓とまちがって「まあ、太鼓ならなんとかなるだろう」と思って集まったようです。

どっこい、バトントワラーを和製にしてお祭り的にしたようなもの。

こう言っても知らない人にはナンノこっちゃって感じでしょう。汗汗汗

意外に難しい。いやになってリタイアした人も。

集まったみんなが一致したことは、みんな難しいと困惑していることでした。

みんなが同じ思いでいることに安心感。わーいわーいわーい


そうです。時には“一人にしてくれ”と言いたいこともあるけど、一人取り残されるのはつらいんですね。

出来ないもの同士、気が合いました。ぴかぴかぴかぴかぴかぴか


誰もが「死」を知っています。
しかし、自分が死ぬとは思っていません。


しかし、親族や身近な人の死が、ある日突然襲ってきます。
最愛のものを奪ってゆきます。

生きていることを当たり前としか思っていない私の心に、現実が厳しく迫ります。


死にたくない、別れたくない。


でも生まれたことが、死の始まりでした。
出会いは別れの始まり。

「死」という現実を突きつけられてはじめて、人は「生」をそして「出会い」を問い始めます。

生かされている、出会っていることの不思議に気付くのでしょうか?


死こそが必然で、生は不思議なることでした。


夫婦で数回もガンの手術をし、妻を失った友人の海谷則之さんは「ガンもご縁でした」とガンによって得られた夫婦のきずなと苦しい闘病生活を超えて生かされていることの喜びを語っています。

何があっても生きているだけで〜幸せ〜


昨夜、姜 暁艶(ジャン ショウイェン)さん
の「幸せへの扉」出版記念祝賀会がありました。

広島大学元学長の原田先生が代表世話人。

岸田文雄元大臣など多彩な顔ぶれが200人を超えて参集。

楽しいひと時をいただきました。わーいわーいわーい





姜さんは日本に来てまだ12年。広島大学に研究員として学び、医学博士となりながら、音楽(二胡演奏)の道に。


仏教音楽を通して仏心(慈悲の心)に出会ったことが彼女の人生を豊かにしたようです。

「二胡の響きとともに仏さまの慈しみの心を世界に発信し続けたい」と本の中で語っています。

挨拶で姜さんは「人はみな悩みを抱えて生きています。悩みのない人生はありません。
でも、仏さまの慈しみの心によって生きていることの幸せを知ることができます」と、自らの体験を振り返るかのように時に涙していました。


そして「何があっても生きているだけで〜幸せ〜」と。

いやし

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“いやし”という言葉が最近、頻繁に聞こえてきます。

音楽や香などで問題の解決はないまま、取りあえず急場をしのぐ。

一時しのぎではあってもとりあえず気持ちの切り替えができる。

人の心の転換は理屈抜きです。

切り替えができないと、どんどんキリでもむように
小さな穴の中にはまりこんでしまうことにもなります。

最近は特にその傾向が強くなっているようです。

浄土真宗には平生業成(へいぜいごうじょう)
という教えがあります。

お浄土に往生出来るのは、死に様に用はなく、
平生の間に信心が定まっているか否かという意味です。

人生の根本的な解決ができていなければ、
たとえ安らかな死に様であっても往生はできません。


また反対に、どんな無様な死に様であろうが
信心決定の人は必ず往生するというものです。

「後生の一大事をこころにかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて
念仏申すべきなり」


お葬式で拝読する御文章の一節です。


不思議


46年ぶりという世紀の天文ショー。

真っ黒な太陽。周りに揺れるように輝くコロナ。

何とも不思議な現象でした。

ずいぶん前、NHKテレビで高橋圭三アナが「事実は小説より奇なり」と言って始まる番組がありましたが、まさに事実に勝る奇なる現象はないという代表のような天文ショーでした。

科学的知識をもってしても説明しきれない、いや説明はできても大自然の偉大さに勝る不思議はありません。

それにつけても、私が私であること。

世界で宇宙でただ一人の私。

何億年、いや宇宙の歴史を背負って出来たこの不思議にあらためて感動です


いじわる和香子と申します

パパがもってきたスイカ。



食べさせているのはバ〜バ。


「バ〜バにも頂戴ね」

「バ〜バは一番下のところ」

と、甘いところは食べさせません。汗汗汗


いじわる和香子と申します。わーいわーいわーい

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