その練習風景を見た、いじわる和香子がフラに挑戦。
どうですかこの表情。
将来の夢は?
ハワイアンのバックフラダンサー?
月の夜は〜
浜に出て〜
みんなで踊ろう
ヤシの葉かげ〜
広島県府中町の寺院「龍仙寺」の前住職です。
徒然日記をブログにしてみました。
青木新門と聞いてもピンとこない人がほとんどでしょう。
映画「おくりびと」の原作となった「納棺夫日記」の著者です。
しかし、原作者でありながら、著作権を放棄してまで
原作者という立場を拒否された人です。
なぜ?
本願寺新報の「お盆特集号一面」に青木新門さんが語っています。
納棺の現場を数多く体験する中から出会った親鸞聖人のみ教えに導かれて
「後生の一大事」を問いかけたのが「納棺夫日記」。
そこが抜けて、ただ“いやし”だけで終わっている
映画「おくりびと」は私としては納得できなかったと。
“いやし”は結局、一時しのぎ。人生苦の真の解決にはなりません。
「著作権」を放棄してまでこだわった青木新門さん。
最近、こんな骨のある人めずらしいですね。
人間生きているうちが花。この世は金次第。この際、有名人に!
と飛び乗るのが普通の人でしょうが・・・。
私が子供の頃には府中町では珍しいセミでした。
夏休みの宿題に昆虫採集がありましたが
シャンシャンはなかなか捕れませんでした。
夏休みに母の里・安芸津町三津に行くとシャンシャンがたくさんおり、
捕獲して喜んだものです。
アブラゼミなどより一段と大きく、黒い胴体に透明の羽根が何とも魅力で、
シャンシャン、シャンシャンと鳴く声が勇ましく聞こえたものです。
温暖化の影響でしょうか、
最近はこのあたりでもアブラゼミよりクマゼミの鳴き声の方が多く聞こえてきます。
“いやし”という言葉が最近、頻繁に聞こえてきます。
音楽や香などで問題の解決はないまま、取りあえず急場をしのぐ。
一時しのぎではあってもとりあえず気持ちの切り替えができる。
人の心の転換は理屈抜きです。
切り替えができないと、どんどんキリでもむように
小さな穴の中にはまりこんでしまうことにもなります。
最近は特にその傾向が強くなっているようです。
浄土真宗には平生業成(へいぜいごうじょう)
という教えがあります。
お浄土に往生出来るのは、死に様に用はなく、
平生の間に信心が定まっているか否かという意味です。
人生の根本的な解決ができていなければ、
たとえ安らかな死に様であっても往生はできません。
また反対に、どんな無様な死に様であろうが
信心決定の人は必ず往生するというものです。
「後生の一大事をこころにかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて
念仏申すべきなり」
お葬式で拝読する御文章の一節です。
46年ぶりという世紀の天文ショー。
真っ黒な太陽。周りに揺れるように輝くコロナ。
何とも不思議な現象でした。
ずいぶん前、NHKテレビで高橋圭三アナが「事実は小説より奇なり」と言って始まる番組がありましたが、まさに事実に勝る奇なる現象はないという代表のような天文ショーでした。
科学的知識をもってしても説明しきれない、いや説明はできても大自然の偉大さに勝る不思議はありません。
それにつけても、私が私であること。
世界で宇宙でただ一人の私。
何億年、いや宇宙の歴史を背負って出来たこの不思議にあらためて感動です