仏教の基本は智慧です。
智慧にいたるために布施から禅定までの五つの教えがあり、
また、智慧を土台として布施から禅定までの五つの教えがあるのです。
般若の智慧とも、縁起の智慧とも言われ、
執着(とらわれ)を超える教えです。
すべて皆、つながりによって存在し、
つながりが切れると消えてゆきます。
だから、無常なのです。
永遠なるものは何もないのです。
だから無我なのです。
実体のあるものは何もないのです。
名誉も地位も財産もそしてあなた自身も。
善人という実態もなければ悪人という実態もない。
縁に触れて善人あるいは悪人といわれる姿を表しているだけです。
だから、どんな悪人も更正という可能性があり、
イイ人と思われている人が「え、あの人が」と
周囲を驚かせるようなことをやってしまうことが起こるのです。
固定したものの見方をしない。
いつも動いている。
それがこの世界であることを知る智慧。
それが仏さまの智慧です。
あなたも私も大丈夫ではないのです。
大丈夫は何もないのです。
でも人間は、頭ではわかってもこの身が執着を起こすんです。
これを凡夫と言います。
だから、ナンマンダブと阿弥陀さまの声を聞きながら生きてゆこうよ、と親鸞さまはおっしゃっています。
腹がたったらナンマンダブ、嬉しい時にもナンマンダブ。
理屈はいいからとりあえず阿弥陀さまの呼びかけです。
ナンマンダブです。