一昨年、たくさん頂いて植えていた彼岸花の株から花が咲きました。
数か所に植えましたが、作夏の日照りで生き残った2株。
そこから一輪づつ。
以前からある株の2輪とあわせて、4輪の彼岸花が境内の片隅で真っ赤な花を咲かせています。
いよいよ24日からお彼岸の法要です。
広島県府中町の寺院「龍仙寺」の前住職です。
徒然日記をブログにしてみました。
初詣、と言えば鳥居。
ところで、現在ではお宮の象徴となっている鳥居は、元は仏教のものだったのです。
日本の一時期、神仏混合でお寺と神社が併合されていた時代から別れた時、お寺の門は現在のような山門として形成され、神社の門が鳥居となっていったようです。
鳥居の原型です。仏舎利塔の前に在りました。
サンチーの仏舎利塔の四隅の門の上に、もうひとつ見つけました。
龍谷大学の校章に依用されているもの。
仏法僧の三宝に帰依することが表されている紋章です。
アジャンタでもこの紋章は使われていました。
580m×300mの敷地に幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも60m、その四隅には高さ42mの塔がそびえる廟は全体が大理石、そしてヒスイやトルコ石、ラピスラズリ(瑠璃)、サファイアなど28種類もの宝石や鉱石が世界中から集められて埋め込まれています。
白亜の殿堂という呼称がぴったりのそれは美しいお墓です。
17世紀に栄えたシャー・ジャハーンという王が愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設した霊廟なのです。
しかし、晩年の彼は息子のアウラングゼーブ帝によってアグラ城に幽閉され、タージ・マハルを毎日眺めては涙を流して過ごしたと伝えられているそうです。
世界で最も美しいお墓に違いありません。
同行の女性曰く。「死んでからこんなりっぱなお墓建ててもらうより、生きている間に贅沢させてもらった方がいい」
女の本音ですね!
アジャンタの石窟は峡谷の壁面から掘ったものですが、エローラの石窟寺院は上から掘り出していったものだそうです。
6〜7世紀に造られたもので、仏教、ヒンドゥー、ジャイナ教の石窟です。
アジャンタは長い間、発見されず峡谷の中に隠れていたものですがエローラの石窟寺院は仏教の後、ヒンドゥーやジャイナ教の寺院として多くの人に参拝されてきたものです。
アジャンタと同じく手作業で岩山を上から掘り出して塔や僧院を造り上げるという現代人では考えもしないことを・・・。
人間ってすごいですね。
左端の上、崖の三段目あたりに黄色いシャツを着た人が映っています。発見できましたか?
小さすぎて見えないかな?
上から見たエローラのすごさ、これでお解かりでしょうか?
懸案の“宗法改正”
全員協議会が13日から始まって以来、日曜祝日を除いて宗法改正に取り組んだ臨時宗会。
遂に、時間切れ。
何しろ、本願寺が宗派から独立して運営される形、そして三権分立型の宗会制度を廃止して言わば理事会制度型にしようというんですから紛糾です。
原案作成に携わった一部の議員は、コレでなければスピーディーで良好な宗門運営はできないと主張。
民意を背景にした民主的な運営は、とかく衆愚政治に陥り、大胆でスピーディーな政策の実現は不可能であり、宗教教団にはふさわしくないと。
確かにその通りです。
しかし、一つ間違えば一般寺院の願いは無視され、独走したあげくに宗門の衰退に拍車をかけ、その弊害は一般寺院が負わねばならなくなるという危険も伴います。
喧々諤々、結局時間切れ。
年明けから、仕切り直しして再度議論の場が始まります。
インド旅行記、一時中断です。
昨日は、龍仙寺恒例となった大掃除と忘年会。
仏壮・仏婦・役員会合同でおよそ120人が集まって約一時間の大掃除の後、楽しい楽しい忘年会でした。
ご本山の「御煤払い」をまねて始まったこの行事、年々参加者が増えているんです。
忘年会には約80名近くの人が残って、ゲームやコーラス、あっという間の二時間でした。
司会者のMさん、ついに椅子の上に上って踊り出してしまいました。
お面をかぶって踊り出すもの、色々趣向を凝らして楽しい時間を共にしました。
ゲームの賞品や参加賞を手に「有難う、有難う」と感謝し合いながら、それぞれ家路に。
ところでガイドのバシーさん42歳といっていましたが、それも学校の先生が決めてくれた誕生日とのこと。
最近は子どもが生まれると役所に届けることになっているから年齢が確かだそうです。
とはいっても、貧富の格差はひどく、いまだに学校に行かない、いや行かせない家庭はたくさんあるそうで年齢もわからない人がたくさんいるようです。
道端のお店がこんな状態ですから。